「待っている」という意識になると、イラッとしてしまう。意識しないようにするには別の行動が必要です

考え方・思考

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わたしは「待つ」という行為がとても苦手です。具体的にいうと、ただぼっーとして待つだけの状態がとても苦手なんです。

待つという行為がとても苦手なので、待ち合わせの場所に早く着いたときは、待ち合わせ場所で立って待つのではなく、近くに本屋があったら本を立ち読みしたり、セレクトショップで洋服を見に行ったり、街をぶらぶらしたりして時間をつぶしています。

待っている間、意識として「待っている」「待たされている」と思うと、時間が気になるし、待っている人がなかなか来ないとイラッとしたりしてしまいます。

「待っている」「待たされている」という意識になると、イラッとしてしまう。

なんとなく何かしていないと落ち着かない、せっかちな性格のためか「待つ」という行為がとても苦手です。

・信号機が青になるのを待つ

・電車が来るのを待つ

・バスが来るのを待つ

・お店のレジでお会計をするのを待つ

・行列に並んで待つ

・飲食店で注文したものを待つ

・待ち合わせで場所で人を待つ

待つという行為が、「待たされている」と感じてしまうとどうしてもイラッとしてしまいます。

なぜ、この待つという行為が苦手なのか考えてみました。

時間がたっぷりあってもなくても、待つのが好きという人はあまりいないと思いますが、、、

・待つという行為が、生産的ではないと感じるため

・待つという行為が、自分の思い通りになっていない状態だと感じるため

・待つという行為が、時間の無駄だと感じてしまうため

・待つという行為が、なにもしていない状態で不安に感じてしまうため

時間=生産的なことをすること という頭がなんとなくあるからかもしれません。

「待っている」という行為を別の行為にするだけで気持ちを変えることはできる

待つという行為が苦手だからといって、待つという行為自体を避けることは当然ですけどできません。

電車もバスも待っていなければ乗ることはできませんし(駆け込み乗車はできるかもしれませんが・・)飲食店で注文したものを待つことができなければ、食事することもできません。

待つ行為に対して「待っている」「待たされている」と意識することが原因でイラッとするのであって、待っているという行為を別の行為に変換することで、気持ちを変えることはできます。具体的には

・待っているときに→本を読む

・待っているときに→思考する

・待っているときに→スマホで情報収集する

・待っているときに→ブログのネタをつくりのため、他の人を観察する

・待っているときに→ブログ用の写真を撮る

・待っているときに→空を観察する

別の行為に変換することで、待っているという意識を別の意識へ向けることができるので、イラッとしてしまう原因を排除することができます。

まとめ

イラッとしたくなくても、イラッとしてしまうのは仕方ないことだと思います。イラッとした時になんでイラッとしてしまったのか?を客観的に分析することができれば、その解決方法を自分で見つけることはできると思います。

イラッとしていいことなんて何もありませんからね。

このイラッとするというのも自分の中の気持ちなので、自分の気持ちを常日頃からしっかりと観察・把握することでその対処する方法を見つけることは大事です。

【編集後記】

数年ぶりに日曜日に事務所に来て仕事しました。

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